◆(勝木菊太郎君) おはようございます。
 待って海路の日和を得たのか、あるいは正直の頭に神が宿ったのか、それとも七尾市民の選良感覚に正常な目覚めがよみがえったのか、これらの原因を把握し得ないまま、再びこの席に送り帰された私であります。ただいま登壇の機会を許され、いささか時期を失した感がしないわけではありませんが、今春選挙後の本会議での初登壇でありますゆえに、一言ごあいさつをさせていただきます。
 返り咲きを果たしたとはいえ、特別な変わりばえも進歩も身につけず、あえて申し上げれば、いつぞやこの席で申し上げたごとく、熟年という好まざるハンディを背負ってきた私ですが、使命感に至っては過去の体験を合わせ、四年前にまさる燃えるものを持ってきたつもりでありますので、何とぞ知事以下、御当局を初め議会の皆さん、旧に倍する御交誼を賜りますようお願いを申し上げます。
 以下、知事初め関係部長にお尋ねをするわけでありますが、実はきのうの石川県庶民生活協同組合の多額融資問題について、このことは実は粟議員の質問にあったわけでありますが、いささか私には疑問がありますので、私の立場で伺ってみたいと思います。知事、県民生活局長、警察本部長、監査委員からの御答弁をいただきたいと思います。
 証券・金融の不祥事が国会で論議された今日、この問題も極めて県民の関心が高いと言わなければなりません。明快な御答弁を得たいと存じます。
 この庶民生協の設立の目的は何か。さらに、きのう議場で質問をされた十二億円融資は組合設立目的に合致しているのかどうか、社会通念上どう思われますか。この融資は生活協同組合法に触れるとも言われているが、これもどうか。県は強く行政指導を行ったと言われますが、この融資が実行されるまでの経過をどのように理解をしているのか。昨日、知事は設立目的と合致しない融資がなされているので、監査できる旨の答弁があったかと思います。監査委員はこの融資は監査対象外であると答弁をされたと思っております。この答弁の違いについておのおの御説明を求めます。
 この問題が発生して以来、県の指導によって貸付最高限度額が五百万円となったことは、十二億円の融資がいかなるものであったかを物語っていると思います。庶民生協はこれが社会的責任等免れ得ないと思うが、果たして法的にどんな責任もないのか、あわせてお尋ねいたしたいと思います。
 次に、十二億円の多額融資の原資を提供したと言われる石川県労働金庫についてお尋ねをいたします。労働金庫の指導、監督の責任はどうか。県は労働金庫に対して制度融資等どれだけの資金を提供しているのか。県下の市町村も労働金庫に金を出していると聞いているが、市町村の数と金額はどれくらいになっているのか。県や市町村が提供している金は、提供の目的どおり使われているのか。県は監査をしたことがあるのか。県民の税金、市町村民の税金が提供されている労働金庫が十二億円の多額融資に関与していたことは、税金を納めた県民はどのように理解したらいいのか。恐らく理解はできないと思いますし、また、労働金庫に汗とあぶらで稼いだ金を預金している数多くの働く人たちはどう考えるでしょうか。知事及び関係部長、さらに、監査の対象外であったと言われる監査委員はどうお考えなのか、その御見解を求めたいのであります。
 去る六月議会における手取川県水の水価の値下げについてであります。
 かつて本件に関するそもそもの原因は、当時の能登地区の対応の不手際によるものであり、県水道行政に多大な御迷惑をかけてまいりました。にもかかわらず、おのれの不明を棚に上げ、県下斉一を盾に無理やり値下げを強要してきた過去の言動を省みるとき、今はただ穴にでも入りたい恥じらいであると大いなる反省をいたしているところであります。今回の格段の値下げは、能登住民の今後の生活に一段の潤いをもたらしめたものとして、住民の喜びはひとしおのものであり、さらにその波紋は殊のほか敏感に町から集落へと語り伝えられ、特に主婦同士の日常会話の語り草になっていることをこの際お伝えをしておきたいと思います。同時に、関係住民にかわり、おくればせながらありがたく感謝のお礼を申し上げる次第であります。
 加うるに、これが水価の値下げ政策は県下一円同額に至るまで断続的ながら引き続き続行されるものと思いますが、いかがでしょうか。御当局の御答弁をいただきたいと思います。
 もちろん、この政策は一般財源からの繰り入れか、あるいは他に何らかの補てん財源が得られない限り不明であることはわからないわけではありませんが、関係住民に今後の希望と、県行政に対し関心を抱かせるためにも、正確とは言わないまでも、せめて見通しぐらい長い行政担当の体験からお示しいただけないかどうか。すなわち、五年か、それとも十年かかるのか、これが見当をお聞かせいただければ甚だ幸甚に存じます。
 もちろん、これらの時期はきょう伺ったとしても、それはあくまでもおおよその見当ですから、将来において何ら拘束されるものではないことを念のため付言をしておきたいと思います。
 次に、能越自動車道路線の七尾地内乗り入れについてであります。
 今を去る昭和四十二年、七尾市議会で本路線についての第一声を上げたが、当時の県政からいささか疎遠がちであった当時の七尾市からの声は、意外にも遠く、らちが明かぬと見て県政にこまを進めたのが昭和五十年でありました。ばかの一つ覚えと言われようが、カラスの鳴かぬ日があろうが、能越自動車道の建設決定を見るまで叫び、訴える続けることを言明したのが六月議会の七月一日のこの壇上からでありました。県議会議場という厳粛さに緊張ぎみの私は、文字どおり手の置き場、足の踏むところを知らず、汗を絞って一瀉千里にまくしたて、当時の米沢外秋議長は、間断なき機銃掃射的私の発言についにストップをかけ損ない、持ち時間を超過させたというエピソードを思いますときに、建設決定というあぐらの上の今日とは、まさに隔世の感を思わせるものがあります。
 申し上げるまでもなく、この道路の目的は能登の浮上が大前提であり、しかもこの目的を容易ならしむるために欠くことのできない無二のパートナーは、すなわち七尾であります。これが一対のペアこそ基本原則であり、能登浮上のかなめなのであります。したがって、このいずれかを見落とすがごとき計画は厳に慎むべきであり、万一、関連性のいずれかを見失った場合は、それこそ過去を忘れた甚だしき誤りであり、能登の浮上は永遠にその進路を失い、能登は再び過疎への転落をたどる悔いを千載に残す結果となることでしょう。
 知事、戦後四十年、能登はこれでよかったんだろうか。あなたには多少耳ざわりになるかと思いますが、過去幾たびか言い続けてきた私の愚言に、いま一度耳を傾けていただきたいと思います。
 それは、七尾市を置き去りにしたといいますか、七尾市を置き忘れた能登縦貫道。押水以北へ再度送水の手を加えなければならなかった実情。金沢港の開港において著しく港勢を失墜した七尾港。この後、昭和四十八年以降、七尾火電で挽回を図ったかに見えたが、トクサへの当初の意図はもろくも崩れ去るなど、覆水は遂に盆に返らなかったのであります。知事、虚心坦懐、過去の政策が今後新しい県政を進める上に役立つ大きな教訓となるよう、禍をもって福となす雅量を発揮していただきたいと思います。
 能越自動車道の当を得た路線の決定は、能登の浮上、七尾の活性化を図る今世紀最後の政策ではないでしょうか。行政のベテランであるあなたに素人の理論としては若干くどかったと思いますが、御理解を賜りたいと思います。
 能越自動車道の七尾−氷見間の路線決定は、七尾、氷見両市長の意見に耳を傾けるべきであり、最後の決定は建設省ではなく、それは知事、あなたなのであります。なぜならば、三十年にわたり愛のまなざしで眺めてきた県土、あなたの構想でつくり上げてきた県土石川であるがゆえであります。機を見るに敏なるあなたに、もうこれ以上の言葉は不必要かと思いますが、私にとっては四年ぶりの登壇であり、変わりばえのない地元を考えるときに、駄弁とはいえ、さらに言葉を続けさせていただきたいと思います。
 御承知のごとく、それは天正二年、すなわち一五七四年、加賀地区を平定せしめた時の武将、上杉謙信が意気軒昂、勢いに乗じて同四年、能登侵攻に兵を進め、明くる五年、すなわち天正五年、ついに七尾城攻略に成功し、将兵の労をねぎらうため、ちょうど今ごろ、九月十三夜の月見とともに催した陣中のうたげに、眼下に展開する越山あわせ得たる能州の景を見た智将上杉謙信とその部下たちは、どんなにか故郷をしのび、労をいやしたことでしょう。言うまでもなく、ここがいわゆる七尾市の城山なのであります。天正の昔、四百年前、既に能越自動車道のコースを示唆したのが、時の智将上杉謙信だったという、そんな考えを抱くことが愚かでしょうか。私は愚直にもそう信じているのであります。したがって、このハイウエーを走るドライバーや観光客に越山あわせ得たり能州の景を鑑賞満喫させないという愚かさは許されるべきではないでしょう。
 したがって、氷見−七尾間のコースは、五キロや十キロの遠近は問題ではなく、多くの観光客を奥能登に誘致するためにも、本コースの基本は富山湾を眼下に見下ろし、立山連邦を可能な限り眺望せしめ、しかる後越山あわせ得たり能州の絶景を鑑賞させることが氷見−七尾間のコースだと思いますが、知事、あなたはいかがでしょうか。お考えをただしたいのであります。
 次に、副知事任命についてであります。
 六月議会を初め、去る二十七日の与野党の代表質問のいずれにも、副知事任命の要請が活発に行われました。知事は、副知事なる人間像についても詳細な御答弁がありましたが、このことは知事が副知事任命に対するいかに大きな関心の深さを示したかにかかっていると思うのであります。高く評価をするものであります。しかしながら、副知事は県政のアクセサリーではなく、よりよき県勢発展のための一翼を担うものでなければならないはずであります。したがって、副知事任命に必要な環境は整っているのでしょうか。私にはそうは思わないのであります。むしろ、時期尚早だと思っているくらいです。副知事任命によって県政の行く手に暗雲を漂わせるがごときは、断じて許されません。県政は県民のものなのです。環境が熟すまで、素直にその日を待つのが私の副知事への提言であります。御答弁はあえて求めませんが、知事において必要とあらば承ることにはやぶさかではありません。
 以上をもって私の質問を終わります。どうもありがとうございました。(拍手)